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長尚先生から「ISO(国際標準化機構)規格について」

 4月21日のメモ「日本人の気質とISOと、今後の動きと」に、ついて関連の情報をいただいたので、著者の許可を得てご紹介します。

 元信州大学の長尚先生から、お手紙をいただいた。
 その中に、長先生がH8年11月に書いた「ISO(国際標準化機構)規格について」という文が同封されていた。

 ISOブームが落ち着いて、私なりにようやくその功罪が見えてきた(いままでは罪ばかりを嘆いて進歩がなかった)ことを、7年半も前に指摘されていたという事実が興味深い。

 これは、単なるISO批判ではなく、無策な認証取得を批判し、どう使えばもっと自分たちの身になるかを考えることを呼びかけている。
 ISOに関わる方々、それぞれに感じるところがあるのではないかと思うが、率直な感想をコメントしていただけたら良いな、と思う。(匿名でもコメントできます)

 以下にその全文を転載する。(ちょっと長文)

ISO(国際標準化機構)規格について

平成8年11月
信州大学工学部 長 尚

  このところ建設界もISO規格の認証ブームという観を呈している。これは本年1月からのWTO政府調達協定の発効に伴って、避けていられなくなったという客観情勢の変化によってもたらされている。
 もともとISO規格を日本が無批判に積極的に受け入れたことは大変な間違いで、建設界に限らず、大混乱と国際的な紛争が巻き起こり、さらに日本の国際競争力の極端な低下をもたらすことになるのは間違いないように思う。
 ISO規格の建前としての狙いは品質保証や品質管理のシステム(仕組み)に関する購入者の立場からの要求事項の国際的な標準規格化にある。この狙いそのものに誰も異論を差し狭めないであろうが、規格化の基本的な考え方が「文書化(言己録証拠も含む)」、「証拠主義」、「行程重視」という「性悪説」に基づいていることと、イギリス、ヨーロッパ主導で生まれたもので、他国ないしは他のグループ、特に日本排除の意図なしとしないことから、日本の立場から見ると、多くの問題点を内包していると言わざるを得ない。
 何事でも、国際的な標準規格化はそれを作成する時に主導権を発揮した国に有利となるのは否めない。したがって、当初アメリカは必ずしも積極的ではなかった(今では逆に主導権を取って有利に利用しようとしているようであるが)。欧米とは能力も文化も違う日本で、ISO規格を無批判に取り入れると、次のような問題点が生じてくる。

 1,国際的に見れはある一定以上の能力を持ち(例えば欧米の労働者の暗算能力は低い)、自分の仕事以外でも適宜こなし(例えば日本では監督者がオペレーターの仕事をすることもあるが、欧米ではそんなことは絶対にない)、信頼に基づいて仕事をする日本人は、必要以上の文書化は不要である、勿論従来よりは文書化する必要はあるであろうが、日本では文章化するまでもないことが外国では必要で。このことが日本の競争力を高めていたのである。そのメリットが減退し、能率を下げ、コストアップをもたらす。

 2,文書化してないものはやらなくてよいという考え方がlSO規格では徹底しているが、正確に文章化できないことも一杯あり。それが品質確保にかなり影響している。そういう視点が1SO規格にはない。さらに日本人は書いてなくても実行するという長所があるが。これがすたれて行くことになってしまう。

 3,膨大な記録証拠の確保に手間と費用がかかる。またデータの信急性の保証をどのように確保するか、形だけになるという危慎が強い。

 4,決してよいことではないが、例えば書類上は3月30日に竣工となっていても、実際には3月60日(?)に竣工するというような手法とか。実質的な内容は契約後に整えて効率を図るといったような手法は取れなくなる。このようなことを是正するきっかけにしようとする意図が明確にあって、1SO規格を受け入れようとしているようにはとても考えられない。これほど極端でなくても、ある程度融通性を認めないと、窮屈で効率が極端に低下することになる。

 5,国家、民族を超えて、全てに普遍的な考え方、ルールが必ずあるというのは幻想である。そこで「我が国の風土に馴染むシステムの構築をして、国際化に対応しなければならない」と言われるが、「我が国の風土に馴染むシステムの構築を」したのではISO規格の国際的な標準化という基本理念に反し、そのようなシステムの構築は認められる筈がない。また国状、業種、個人差によって同じ審査ができる訳でもない。今のままでは、国際的に同じ内容が要求され、相互承認で極めて困難な事態を招くであろう。
 これまで日本人、特に指導的立場にある者は外国のものの導入を積極的に推進し、結局日本人はそれをことごとく巧く消化して来たので、今回もそうなる可能性がないとは言えないかもしれない。しかしこれまでは導入した上で、実質的には全て日本流に変質させて成功していた訳で(そのような認識が指導的立場にある者にはなさすぎるが)、今回はそれが基本的に駄目だということで作られているから、今のままでのISO規格導入では巧く立ち回れないように思う。
 以上ISO規格導入への疑問について述べたが、一方で、阪神・淡路大震災で白日のもとに晒された施工不良の存在を見ると、できればISO規格の目指す狙いが巧く実現して欲しいように思う。そのためには、全てに普遍的な考え方、ルールが必ずあるという前提を改めて、違いを認識することを前提にして、それぞれの国の風土に馴染むシステムの構築をお互いに認め合うという基本理念に変更すべきである。そうしなければ決して成功しないであろう。

 ISO規格導入を積極的に推進している人から、これまでやっていたことをlSO規格の書式にしたがって文書化すればよい、別に難しく考えなくてよいという説明を聞いた。それを可能にするには上記したような基本理念の変更が必須条件であるが、最初に触れたように日本排除の意図がある中では、極めて困難な状況にあるように思う。
 以上

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コメント (4)

TEL017圏内:

はじめまして、こんにちわ
2年前に、ISO取得の準備を担当した者として、感じた事を書きます。業種は、田舎のよくある測量設計業です。
以前のシステムは知りませんが、ISO9001(2000)についてだけです。結果として、試行も行いましたが、審査を受けず、取得しませんでした。
理由は以下のとおりです。
○取得の動機が薄かったことです。
役所から、取得に対して補助金がでることと、経営ポイントが加えられることを言われ、勧められたため。(今思えば、予算消化のノルマを押し付けられたかも・・。)
○審査機関と作成機関が怪しい。
各機関の説明会やセミナーに出席し、担当や営業のキャリアが情けないと感じた。審査のためのコツや、書類整備に詳しいだけだった。
元商社、元経営コンサルタント、元工場長のISO担当者が多かった。
○金がかかりすぎる。
取得準備、取得審査の委託費から、各種事務費の増加、担当職の固定、更新審査など便益費にあわない。
○日本の運用は間違っていると感じた。
建設関連で、50人以下程度の企業が、わざわざ経費をかけて、書類を増やすよりは、役所提出の品質管理をもっときちんとやった方がいいと思った。国際社会に進出しそうにないし、する気もないでしょう。
○さいごに
結局、意味がないのでやめました。ただし、品質管理や顧客満足度を、システムとして捉える理屈は勉強になりました。民間業務も多かったので、分かり易い説明と行動はできるようになりました。看板を必要と思わなければいいだけでしょう。それよりも、業務前に宣言書を客に提出するだけで、いいと思います。必然的にそれを証明していくので、顧客に分かり易いはずです。認証看板より、宣言書のほうが具体的と思いました。
やるのであれば、京都環境基準規格みたいな業界規格を設ければいいのでしょう。日本の建設は、国際的に情けないと思えません。
ISOバブルの犯人と役所に反省!

 TEL017圏内さま、コメントありがとうございました。
 大変興味深い事例を紹介いただきありがとうございます。
 よく陥りがちな、「ISOの取得ありき」という罠に陥らずに、「ISO取得の意義」をよく考えてのご決断だったことがすばらしいと思います。
 「品質管理や顧客満足度を、システムとして捉える理屈は勉強になりました」と言われているように、良いとこ取りの気楽な気持ちでISOに取り組むのが良い結果につながるのかないう感じも受けました。

 いずれにしても、ISO認証前に、認証取得の意義をよーく考えてから取り組むことの大切さを改めて感じた次第です。

 また、独自規格という面では、本来JIS規格がその責を負っていたのでしょうが、今は、品質規格は、ISOの日本語訳にすぎない状態ですね。これらが日本的な変質を遂げていくためには、「指導的立場にある人」たちの認識に負うしかないのかな、と思うとやるせない感じがします。

 その一方で、「業務前に宣言書を客に提出する」というような独自の取り組み方もあるのですね。勉強になります。
 一地方で業務をするのであれば、それで必要十分なわけで、かえって各業務の特質がとらえやすく、お互いにわかりやすいかもしれませんね。

 あとは、ISOを社会(住民)に対する(建設業界が失った)信頼を担保するものとして利用する向きもありますが、その辺については、「宣言書」を使った場合、どのような運用が可能かが興味あります。ご迷惑でなければコメント頂けると幸いです。

 では、今後ともよろしくお願い致します。

TEL017圏内:

興味をいただき有難うございます。
参考になるか分かりませんが、簡単に説明します。
まず、前提として民間事業だけにしています。
民間事業は造ることが目的でなく、営業することが目的です。よって、開業時期や業務拡張が後年可能かなどが重要です。
行う業務は、事前協議、許可行為、認可行為の為が、主業務となります。
まず、十分な聞き取りを行います。そして、基礎調査や、協力会社などと協議して、宣言書を作ります。(マニュフェストと同じです)
現実には、「手続きの流れ」と書いています。
余裕を持った作業期間で、フローチャート形式(分かりやすいように)で示します。これは、本工事着手時期を決定(けつ決め)して行います。そして、各セクションごとに、期日とチェック項目を明示します。
相手のある項目と無い項目をきちんと文章にします。
最後に、「このとおりで行けば、絶対大丈夫です」と確約宣言します。
そうすると、中身も工程も間違いないように頑張らないといけません。そして、その都度報告しないと嘘になります。単純な話です。また、クライアントに説明している分、業務協力やバックアップなどが自発的にあり、かなり助かります。目的は営業をすることだからです。
これを顧客満足のためと考え、試行しています。少しづつ修正しながらですけど・・。
公共事業ばかりしていると、意味が解らないそうですが、この感覚は本を買ってきてできるものではないでしょう。意識改革が必要と感じています。感覚のない人が「これからはPFI」と言うのを聞くと、空しくなります。
ゼネコンなどは痛いおもいをしているので、大人のようですけど、地方の土建関連業界は、その点終わっているような感じがします。

 TEL017圏内さま、早速のRESありがとうございました。
 「手続きの流れ」を明確にすることで、自社内の周知徹底と、顧客への説明責任の満足の一石二鳥となる訳ですね。

  公共事業の場合、「顧客」というものの存在があいまいだったため、公共事業にどっぷり浸かってきた業者さんの中には、余計な手続きに感じる向きもあるだろうと思います。

 なんでかんでISOをとらなければならない、という閉塞した考えから脱却する上でも、TEL017圏内さまの事例は何かのヒントになりそうですね。

  有益なご情報大変ありがとうございました。
 今後とも気楽にコメント頂けると幸いです。m(_ _)m   

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2004年04月29日 11:52に投稿されたエントリーのページです。

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